灰朧     1

2006年02月01日

街の底が白く輝いている。ひどくまぶしい。
ここ、十階のヴェランダから見下ろす俺の眼を鋭い仰角で射てくる。半眼にしても間に合わない。灼熱する太陽光を反射して、街全体が、いまにも発火しそうだ。
まるで何時間も燃え続ける登り窯だ。
白い街を二つに分ける青い曲線は甲突川だ。川向こうのシイやクスノキの葉群が濃緑の島になっている。あれは加冶屋町の公園で、一面に積もった灰で地面全体が砂場のようになっているはずだ。

青空 灰朧1用.JPG
(画面をクリック)

稲妻が空にフラッシュし、1,2秒置いて爆発音が重くとどろく。街の上空が震え、窓ガラスが鳴り、衝撃波が腹の芯に届く。
桜島の噴火だ。
濃紺の鹿児島湾の向こうに稜線をなだらかに伸ばしてそびえている。

あれほどまぶしかった風景がにわかに翳る。火山灰が降り始めたからだ。俺の視野は、灰の分厚いカーテンにあっという間に覆われてしまう。皮膚を灰の粒が撃ち、汗にくっつく。触ったらじゃりじゃりした。
部屋に戻り、窓を全部閉じ、クーラーを入れる。
桜島から離れたこのマンションでさえこれだ。もっと近い天文館あたりは、一瞬で夜になったような激しい降りではないのか。
フローリングの床が、もう、微粒子にうっすら覆われている。火山灰だ。サッシュ窓の、密閉した合わせ目からさえ忍び込む。始末におえない。ほかの部屋も同じだろう。やれやれ。また掃除機だな。

3LDKの部屋は、俺と杉坂、谷で埋まっていたが、いま和室は空き、部屋の隅に積み上げられた下着や色とりどりのシャツの上を、灰の微粒子が薄黒く覆っている。
和室の主、杉坂は死んだ。
5日前の朝、近くの小学校のプールの底に、オレンジの派手な海水パンツ姿で死んでいるのを見回り教師に発見された。

「鹿児島市の小学校のプールで、今朝、身元不明の男性の水死体が発見されました。警察の調べによりますと、男性は30代半ばぐらいで、背中に刺青があり」
テレビのアナウンサーが、昼のニュースでそういい始めたとたん、すべて分かった。
 そんな死に方をした、刺青のある、30代半ばの男といえば、杉坂しかいなかった。杉坂が背負った刺青は、水滸伝の花和尚だった。両目を剥いて、こっちをにらむでっぷりした墨絵が、痩せてカマキリのように湾曲した背中いっぱいに、原色で彫られていた。

 悪い予感があった。
あの日、杉坂は飯当番だったのに、昼を過ぎてもマンションにいなかったから。
 そのプールは、マンション近くにあり、杉坂は前夜、ひそかに泳ぎにいっていたのだった。昼はおおっぴらに出歩けない事情があった。
 2週間ぐらい前だったか、
「兄貴いいだろう? クロールのような音を立てるやつはやんない。平泳ぎだけにするからさあ」
 と、杉坂から、上目づかいの顔で聴かれ、
それほど考えず、
「ああ、いいさあ」
と、答えた。
 夜中に、酔ってプールに侵入し、泳いでいるうちに心臓麻痺を起こしたというのが、警察の推定だった。血液中からアルコール分が発見された、という。

 翌日の新聞でそれを知り、
 本当にそうかな? と疑問が膨れ上がった。
 杉坂は、ここの暮らしを始めてから酒はやめていたから。
酒癖が悪い。酒でみんなに迷惑をかけては、と気をつかったのだ。杉坂が自分から言い出さなければ、俺がやめさせたはずだった。
 野郎、隠れて呑んでたか?
 一度は思った。
 そうかもしれなかったし、そうではなかったかもしれない。
 分からぬ。
 だが、隠し事をする奴ではなかった。
 広くもないマンションで、3人、毎日顔を合わせていた。呑めばすぐにわかった筈だった。

白い街 灰朧1用.JPG

 つっかえ棒を突然外されたような感じが続いている。それが日に日に濃くなっている。
 遺体は引き取らなかった。
 警察に行けば、木更津の俺たちが鹿児島にいるという情報が、業界に矢のように流れるだろう。憶測が膨らんで、最後はあのヤマに結び付けられる。
 杉坂は、警察の警部補だった時に捜査費の使い込みがばれて密かにクビになった過去があった。この社会に入ってからは賭博開帳図利の容疑で逮捕されたから、遺体が誰かは指紋照合で一週間もすれば分かるはずだ。放っておいても、やがて、身内が、あの痩せた杉坂を引き取りにくる。
(2へつづく=右上の「バックナンバー」中の2をクリック)



posted by Jiraux at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | Jiraux's novel 小説
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。