灰朧     10

2006年04月05日

(9からつづく=右の「バックナンバー」中の9をクリック)

 10分間の休憩を、座禅堂の廊下で思い思いに過ごした参禅者たちが、2回目の座禅に入るため、列になって堂内へ戻っていく。寡黙な蟻に似ている。

 修行者たちの丹念な拭き掃除で黒光りする広い木床に、足音が低く轟き、俺の腹に響いてくる。

 列の中に青木がいるのを見届け、俺は、ゆっくり30数えてから堂内に入った。

ランブラ.JPG
(写真をクリック)

 入口の敷居を跨ぎつつ見ると、青木の座形は整っていた。既に内面に向き合っているらしかった。

 腹のモーゼルを、衣の上から触って確かめ、
 薄闇の中を歩き始める。
 左折してから数えた。

 1、2、3……。
 鼓膜が膨らむ。ドクッ、ドクッ、ドクッ……。
 体中の血管が怒張し、心臓の鼓動が耳を襲う。
 頭は、だが、不思議と冷えている。

 中央の菩薩像の前の、香炉からくゆる伽羅(きゃら)の煙が、宙で止まっていた。
 長さ1.2bの警策(けいさく)板の中央部を両手に載せて横にし、胸のあたりに捧げ、顔を伏し気味に、堂内を巡る、テラテラ頭の青剃りの青年僧が、
じれったいほどのスローモーションで歩いている。

 錯覚か?

 瞬きを繰り返し穴のあくほどじっと見たが、同じだ。
俺の視神経に何かが起きたらしい。

 理由はひとつだ。
 俺の神経組織が、いつもより何倍も速いスピードで世界を
捉えているのだろう。

鼻欠け石彫 フルビエール.JPG
(写真をクリック)

 4、5、6……。
 俺の右腕を両手で捉え、右足で俺の足を軽く蹴り、下から微笑んで見上げるのは誰だ? 切なくなるような幸福感。あれは、一緒になって間もない頃だったな?

 頭が、もの凄いスピードで動いている。
 過去のさまざまな場面が、走馬灯になって急速度で右回転する。

 7、8、9……。
 力士のように大きな男のニキビ顔が、駅から届く蛍光灯の薄明かりに、ほの白く見える。
 柔道2段、185aの己の力を確信しているのだろう。
薄笑いし、一揉みに片付けようと、素早く覆いかぶさってくる。
反射して、右拳を突き上げ、鼻の下に叩き込む。

 小さなものが口から飛び出す。
 一瞬、白々した光を宙にきらめかせ、闇へ消えた。
 残像になって残った。

 歯が飛び散った、と思った。

 力士風は、仰向けに崩れ、腰をつく。
 頭を振って回復を急ぐ力士風に間合いを詰め、
右足を後ろに引き、左足に重心を置いて、前蹴り体勢を取る。

 胡坐をかいて座り込んだ、1歳上の大男が、鼻と口を両手で横拭きすると、両手は黒く染まった。薄闇が色を消しているが、血だった。

「もういい……、わかった。終わりにしてくれ……」
 16歳で知った、力の味。

 あれは、何の始まりだったのか。
 
(11へ続く)


posted by Jiraux at 12:41 | Comment(0) | TrackBack(1) | Jiraux's novel 小説
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力士
Excerpt: 潜在的力士力測定装置(ネタです)
Weblog: ハラキリロマン
Tracked: 2006-04-09 05:52
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